辛くて家に着くとすぐ寝転がってしまう。
天井から猿がこっちをみている。
ヒサトんには教えたけれど
(そしてヒサトんは新たな猿を発見した。その猿は恋人になりました。)
わかりますか?
体の中の空間とそれ以外の空間とイマジネーションによる空間を繋げる夢日記 『杉原悠人個展:Sheep May Safely Graze - 羊は安らかに草を食み』に関連するブログです。(http://www.hisatosugihara.com/)
辛くて家に着くとすぐ寝転がってしまう。
天井から猿がこっちをみている。
ヒサトんには教えたけれど
(そしてヒサトんは新たな猿を発見した。その猿は恋人になりました。)
わかりますか?
いつもギリギリの電車の私は完全に遅刻。
昨日も4分遅れやったから、なんとなく今日も遅れる気がしてたんだ。
昨日4分遅れの電車、尾張一宮から名古屋までの間、座席の上で見た夢。
近未来、マットなステンレス製の筒状の壁面に囲まれた空港で、青年とすれ違う。
私と同じ鞄を彼は持っていた。
エンジ色したエナメルのボストンバック。
「トレースできたの?」
私は聞く。
彼はうなずく。
やむおえない事情で犯罪を犯した彼は、私の中身を完璧にコピーして、どこかに逃亡するのだ。
「気をつけて」
私は軽く手をあげた。
知り合いだとばれてはいけなかった。
彼は表情変えず、何もゆわなかったが、私を見つめる澄んだ瞳は感謝の意に溢れていた。
背を向けて搭乗口にむかう彼の背中を見ていた。
遠くなるエナメル鞄のエンジは、思っていたより赤いことに気付いた。
二度と彼に会うことないであろう。
知りえない彼の歩む道、私の半身に思いを馳せた。
「あーちゃんもガラパゴス行って、亀のポーズ披露したら?社会科の教科書の1ページに写真付きで歴史として載るかもよ、"亀になった人間"とかって」
彼がニヤニヤしながらゆった。
夢じゃありません。
一年近く付き合ってるけどこんな侮辱は初めてです。分須賀!
暖かくなってきました。
そろそろ甲羅も卒業ですね。
その時見た夢。
子猫がいて、私はメロメロになって追っている。
そこに、違う子猫が二匹転げて来た。
体の一回り大きな子猫が、小さい子猫の上に乗っていじめるので、私は、毛を指で摘んで二匹を引き離す。
簡単に離れるのだが、毛に触れると弱い電流が流れて、指先に伝わる。
なんてことない痺れだが、痛覚は長く残る。
押し潰しされた子猫は萎れた猫じゃらしになっていた。
逆立った毛を持つ小指大の虫のようなこの猫たちは、猫類では一番弱い種であり、この種の猫たちは長く生きられない。
今は元気いっぱい駆け回る大きい方も、寿命はもう何時間か先なのだ。
子猫がじゃれるのを見ていると、また小さいのをいじめていた。
その確実な悪意に、私は心を痛めていた。
こんな死に近いところにいる弱々しい生き物にも、明らかな格付けと純粋な悪意があって、一番弱い者が、虐げられるのだ。
そんな摂理に無力なくせに、私は神様のように二匹を何度も引き離す。
その度指先に一瞬のみの痛さを感じつつ。
起きて思い出しても、あまりにかなしくて、絵を描いててもしゅんとする。
体は夢に作用する。
ただ子猫たちの瞳は電流がオレンジの光でおろおろしていて綺麗やった。
さみしいかぎりです。
お給料をもらっておいて大変申し訳ないのですが、
職場は学校のようで、みんながそこそこに仲良く、
あの人眉毛がカモメはばたいてるみたいとかくだらないことを(主に私が)ゆったり、
今これが食べたくてしかたない!とゆったり、
仕事帰りに気になる店に連れ立って行ったり、
居心地がよいのです。
学生時代、日常は日常として青春輝くわけでもなく、
毎日くだらないことーあのこ授業中両手で宿題してたらしいよ!とか、日本史の先生が空飛べるってゆった!とかで一喜一憂し、
帰りにミスドやカラオケいき…1ミクロンもタメにならないことの積み重ねでした。
でもそんな時が人生にとって意外に少ない事に気付くのは過ぎ去ってからで、
そこに自分が存在する最中はまるで永遠の時間かのように勘違いし、
取るに足らない話題や生産性のない楽しい計画を延々繰り出すつもりでいるのです。
解散して振り返るとき、自分たちが果してしまった約束と果せなかった約束が絡み合い長い影になって形づくっているのに気付きます。
並んで歩いていなければ影は溶け合うことなく、
左右道をわかてば、
おのおのの影をそれぞれの生活が埃のように降り積もり、春の日差しにたまに舞うのです。
とりあえず今週は新たな門出を迎えるウさんの心臓に注ぐためトムヤムクンを作るという約束。
美味しく果せますように…
すぐ齧れすべて舐め尽くせ
でした。
彼が答えたのとは、長さと、カとレだけの文字だけ、合っていました。
でもどことなく雰囲気似てるので、サービス点で25点くらいあげます。
それがきっかけで、私が小説を書こうとしていたのを、彼は思い出したのです。
彼はこち亀しか読まない人なので、そんなことは興味ないだろうと思い、言ってなかったんやけど、友達がふとした時に、悪意なくですが、書こうとしていることとタイトルを彼にばらしてしまったのが一年前くらい。
「題何やったっけ?確か長かったよね〜?3行くらいの」
彼は思い出そうとします。
「もういいって〜」
それはタイトルだけで、全然進まなかったのでした。
「何やったかな?
アイ、シカバネ、ワレコエル
やったっけ?」
文字だけなら、カしか合ってない。
けれど、北斗の拳みたいでかっこいいタイトルやな。
愛、屍、我越える。
天井の板の模様が猿の顔に見える。
猿の瞳から出てくる雨を体に受けとめて、私たちは見つめあったまま。
孤独が寄り添ってるのを感じる時もあれば、なんだか期待が沸き上がって仕方ない時もある。
今日は、しんとしていた。
雨が止んだ夜明け、目が覚めた私の体の前面は、水が自由に飛び跳ねちった形状で乾こうとしてるぬかるみである。
戦争で志半ばで倒れていく友がたくさんいる中で、ある日、基地から出たら、雪の下にみかんの皮があった。
そのぼんやりした黄色を見た時、猛烈に生きて帰り絵を描きたい、これを描きたいと思った。
そんなような内容やったはず。
おぼろげなものが、生きることを突き動かすこともある。
だからといって、私が2回もコンタクトなくした言い訳にはならないか。
2月3日から1週間後、再びコンタクトをなくした。同じ右目。
ジャンピン!
とケースから元気よく飛んでいきました。
朝方。
コンタクトが細長い縦のラックにCDみたいに何百枚も玉野廉みたいな感じで連なってかかっていた。
やはり日の光を浴びてキラキラしていた。
またコンタクトの夢か
と夢の中の私は思った。
しかしそれは明確ではなく、幾層かの雪の下にあるぼんやりしたみかんの皮の黄色のように輪郭がなく、存在の実感ないのに確かにそこにあるというような思いだった。
またコンタクトの夢だった。
目が覚めて思考は輪郭をはっきりあらわにした。
立ち上がり、寝ぼけながら、コンタクトをつけようとしたら右目の方を流してしまった!
私は夢が現実にあふれ出たように思った。